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[转]岩头之感
探 发表于 2007-01-04 19:59:44
和作者一样,我也在找藤村操的辞世文。不过我比作者运气好的是我在他之后,得以直接浏览他的文。
转自蓝色幻想曲http://blueam.discuz.net
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悠悠天壤,辽辽古今。想不透五尺之躯竟如此大哉。贺瑞修之哲学,值多少权威? 万有之真相一言以蔽之,即——『不可解』!怀抱胸中之恨——烦闷。最后选择一死。既已站在岩上,胸中了无不安。第一次了解到,最大的悲观竟等於最大的乐观...
悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小駆を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にして悉す。曰く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを
第一次看到这段话是在藤泽亨的漫画《GTO》中。书中当菊地在听到丽美念此话后大惊失色,向众人解释道此文为东大高材生藤村操的辞世文,所以认为丽美想要自杀。当时我还以为这段话是作者自己编的,在Google上一查才知道它是有出处的。正如菊地所说——此文就是藤村操的辞世文。
藤村操是日本东大学生而且还是夏日漱石的门生,用咱们今天的话说相当于是在北大读书而且老师还是季羡林。挺厉害的吧,更厉害的是当时的藤村操才16岁…… 1903年5月藤村操因苦于万象不可解,削岩头树写下此文,跳华岩瀑布自杀... 一个16岁的小孩就能写下这样气势磅礴而深刻的文字,这个世界还真是『不可解』啊!
下面这段文章也是关于藤村操及其辞世文的,写的也不错。我大概翻译了一下,有兴趣的朋友可以看看。
藤村操,東京第一高等学校(現・東京大学の前身)で哲学を学ぶ学生。今からおよそ100年前の明治36年。哲学を学ぶ一人の若者が日光・華厳の滝にその身を投じた。前途有望な若者の死に、当時の青年たちは大きなショックを受け、後追い自殺が相次ぐなど、社会現象にまでなった。彼が華厳の滝の巌頭に記した遺言は歴史に残る有名なもの。
「悠々たるかな天壌、遼々たるかな古今、五尺の小躯を以ってこの大をはからんとす。ホレーショの哲学、ついに何等のオーソリティに価するものぞ。万有の真相は唯だ一言にして悉す。 曰く『不可解』我、この恨みを懐いて煩悶、終に死を決するに至る」
彼を死に追い詰めたものはいうまでもない「不可解な人生」である。悠々たる大自然、はるかなる人類の歴史、その中での自分の存在は余りにも小さく短い。一体、この人生は何のためにあるのか。「ホレーショの哲学、ついに何等のオーソリティに価するものぞ」いかなる哲学も彼に解答を示さなかった。人生の目的に対する哲学の無力を身をもって示した藤村操の自殺であった。
青年の死の真相はあらゆる角度から検証されたが、いまだはっきりとした理由は語られていない。だが、哲学青年が厭世観を抱き思想上の悩みから自殺をしたことは世間に大きな衝撃を与えた。それは日本で初めて人生の意味を求めて哲学的死を実践した若者を意味する。
華厳の滝は自殺名所とされ、この年11名の自殺者が出、未遂者は15名を数えた。自殺は伝染する。
藤村の自殺から一年二ヶ月後、漱石は代表作「我輩は猫である」の連載を雑誌ホトトギスで開始。その中には「打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない」という明らかに藤村を題材にした記述があるという。 また、高等学校で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石の精神にも大きな打撃を与え、夏目漱石が後年、鬱病となった一因とも言われる。
藤村操,东京第一高等学校(现东京大学的前身)学习哲学的学生。距今约100多年前的明治36年,这个学习哲学的年轻人在日光跳下了华严瀑布自杀身亡。这个前途大好的年轻人的死对当时的青年们造成了很大的冲击,在此之后不乏相继自杀者,形成了一种社会现象。而他在华严瀑布岩石上所写的遗言也成为历史上有名的文章。
「悠悠天壤,辽辽古今。想不透五尺之躯竟如此大哉。贺瑞修之哲学,值多少权威? 万有之真相一言以蔽之,即——『不可解』!怀抱胸中之恨——烦闷。最后选择一死。既已站在岩上,胸中了无不安。第一次了解到,最大的悲观竟等於最大的乐观」。
他所至死追寻的自然是那「不可解的人生」。辽阔的大自然,漫长的人类历史,而在其中的我们自身的存在又是显得如此的渺小和短暂。人生究竟是为了什么。「贺瑞修之哲学,值多少权威? 」终究哲学也未能给出他答案。因哲学对人生目的所表现出的无力,藤村操自杀了。
对于青年自杀的真相从任何一个角度去考虑,至今也没有一个理由可以说清楚。但是,哲学青年因所抱有的厌世观思想上的烦恼而自杀对这个社会却造成了很大的冲击。那意味着这是在日本第一位为了探求哲学上人生意义而死的青年。
华严瀑布成为有名的自杀地,是因为在这一年有11名自杀者、15名自杀未遂者。自杀是可以传染的。
藤村自杀后的一年零两个月,漱石的代表作「我们是猫」在杂志上开始连载。其中的「也许就是在写完了岩头吟后从华严瀑布跳下的」就是明确的以藤村为题材的记述。同时这也对在高等学校担任藤村英语老师的夏目漱石在精神上造成了很大的打击,据说这也是夏目漱石日后得忧郁症的原因之一。
转自蓝色幻想曲http://blueam.discuz.net
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悠悠天壤,辽辽古今。想不透五尺之躯竟如此大哉。贺瑞修之哲学,值多少权威? 万有之真相一言以蔽之,即——『不可解』!怀抱胸中之恨——烦闷。最后选择一死。既已站在岩上,胸中了无不安。第一次了解到,最大的悲观竟等於最大的乐观...
悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小駆を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチーを値するものぞ、万有の真相は唯一言にして悉す。曰く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを
第一次看到这段话是在藤泽亨的漫画《GTO》中。书中当菊地在听到丽美念此话后大惊失色,向众人解释道此文为东大高材生藤村操的辞世文,所以认为丽美想要自杀。当时我还以为这段话是作者自己编的,在Google上一查才知道它是有出处的。正如菊地所说——此文就是藤村操的辞世文。
藤村操是日本东大学生而且还是夏日漱石的门生,用咱们今天的话说相当于是在北大读书而且老师还是季羡林。挺厉害的吧,更厉害的是当时的藤村操才16岁…… 1903年5月藤村操因苦于万象不可解,削岩头树写下此文,跳华岩瀑布自杀... 一个16岁的小孩就能写下这样气势磅礴而深刻的文字,这个世界还真是『不可解』啊!
下面这段文章也是关于藤村操及其辞世文的,写的也不错。我大概翻译了一下,有兴趣的朋友可以看看。
藤村操,東京第一高等学校(現・東京大学の前身)で哲学を学ぶ学生。今からおよそ100年前の明治36年。哲学を学ぶ一人の若者が日光・華厳の滝にその身を投じた。前途有望な若者の死に、当時の青年たちは大きなショックを受け、後追い自殺が相次ぐなど、社会現象にまでなった。彼が華厳の滝の巌頭に記した遺言は歴史に残る有名なもの。
「悠々たるかな天壌、遼々たるかな古今、五尺の小躯を以ってこの大をはからんとす。ホレーショの哲学、ついに何等のオーソリティに価するものぞ。万有の真相は唯だ一言にして悉す。 曰く『不可解』我、この恨みを懐いて煩悶、終に死を決するに至る」
彼を死に追い詰めたものはいうまでもない「不可解な人生」である。悠々たる大自然、はるかなる人類の歴史、その中での自分の存在は余りにも小さく短い。一体、この人生は何のためにあるのか。「ホレーショの哲学、ついに何等のオーソリティに価するものぞ」いかなる哲学も彼に解答を示さなかった。人生の目的に対する哲学の無力を身をもって示した藤村操の自殺であった。
青年の死の真相はあらゆる角度から検証されたが、いまだはっきりとした理由は語られていない。だが、哲学青年が厭世観を抱き思想上の悩みから自殺をしたことは世間に大きな衝撃を与えた。それは日本で初めて人生の意味を求めて哲学的死を実践した若者を意味する。
華厳の滝は自殺名所とされ、この年11名の自殺者が出、未遂者は15名を数えた。自殺は伝染する。
藤村の自殺から一年二ヶ月後、漱石は代表作「我輩は猫である」の連載を雑誌ホトトギスで開始。その中には「打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない」という明らかに藤村を題材にした記述があるという。 また、高等学校で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石の精神にも大きな打撃を与え、夏目漱石が後年、鬱病となった一因とも言われる。
藤村操,东京第一高等学校(现东京大学的前身)学习哲学的学生。距今约100多年前的明治36年,这个学习哲学的年轻人在日光跳下了华严瀑布自杀身亡。这个前途大好的年轻人的死对当时的青年们造成了很大的冲击,在此之后不乏相继自杀者,形成了一种社会现象。而他在华严瀑布岩石上所写的遗言也成为历史上有名的文章。
「悠悠天壤,辽辽古今。想不透五尺之躯竟如此大哉。贺瑞修之哲学,值多少权威? 万有之真相一言以蔽之,即——『不可解』!怀抱胸中之恨——烦闷。最后选择一死。既已站在岩上,胸中了无不安。第一次了解到,最大的悲观竟等於最大的乐观」。
他所至死追寻的自然是那「不可解的人生」。辽阔的大自然,漫长的人类历史,而在其中的我们自身的存在又是显得如此的渺小和短暂。人生究竟是为了什么。「贺瑞修之哲学,值多少权威? 」终究哲学也未能给出他答案。因哲学对人生目的所表现出的无力,藤村操自杀了。
对于青年自杀的真相从任何一个角度去考虑,至今也没有一个理由可以说清楚。但是,哲学青年因所抱有的厌世观思想上的烦恼而自杀对这个社会却造成了很大的冲击。那意味着这是在日本第一位为了探求哲学上人生意义而死的青年。
华严瀑布成为有名的自杀地,是因为在这一年有11名自杀者、15名自杀未遂者。自杀是可以传染的。
藤村自杀后的一年零两个月,漱石的代表作「我们是猫」在杂志上开始连载。其中的「也许就是在写完了岩头吟后从华严瀑布跳下的」就是明确的以藤村为题材的记述。同时这也对在高等学校担任藤村英语老师的夏目漱石在精神上造成了很大的打击,据说这也是夏目漱石日后得忧郁症的原因之一。
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